第六章
[14]潜入J
曲は始めと同じリズムを奏で終了を迎える。
軽やかで華やか、時に激しくそして甘く緩やかになるこの曲は、男女の恋模様を現したものだ。
旋律が互いの想いのように絡み合い、編み込まれていく様はまるで繊細なレース。より精緻で複雑な程美しいことも似ているかもしれない。
陰謀もどす黒く編まれている会場内だが、やはり男女の情愛は交わされているもので、ダンスに触発され密着度が増している組もある。
だが、その中心とも言うべき二人は華麗に舞いながらも冷静さを失わず、互いの観察に余念が無い。
自分がこの気まぐれで切れ者の皇子に気に入られたことを確信した蒼は、それとともにハーディスの真意も垣間見た気がした。
ハーディスが皇位に興味がないと言ったのは恐らく本音だろう。
皇子としてはこの上ない魅力を備えているハーディスだが、国を統治する責任や威厳は感じられない。
その心は風の神シンセレンのように自由で、どんなものにでも束縛されることを嫌っている。
(曲が終わる)
終焉、最後の山場は緩やかだが大きく膨らみ登りつめていく。
ハーディスの立場上、舞姫と2曲続けて踊ることは考え難い。取り込む機会はあと僅かだ。
蒼は熟考する。
協力者にすることを決意したものの、ハーディスがそれに乗ってくるかはわからない。また信じるかどうかは賭だ。
(どうする。だがここで繋ぎを作らなくては、今後このような機会に恵まれることは難しいだろう)
艶やかな舞姫ソーニャの中で、飄々として冷静な毒操師蒼が無感情に思案し簒奪に耽る。
一方で、ふいに話すことをやめた舞姫に対し、ハーディスは話し過ぎを反省していた。
どんなに高貴な存在に思えたとて、本人が言うように相手は一介の旅芸人。国の政治に関わるわけではないが、自分の内情を話したのはまずかった気がする。
だが不思議な娘だ。自分より十歳は年下だろうに、瑞々しい若さの中に時折老成したかのような雰囲気を垣間見せる。
興味本位と「じい」から逃げる口実にダンスに誘っただけだったが、思わぬ収穫だったかもしれない。
気紛れな切れ者と蒼が察したように、確かにハーディスはずば抜けた洞察力と柔軟な思考の持ち主だった。
優れて華やかな己の容姿と醸し出す皇子の雰囲気を最大限に活用し、周りを上手く丸め込んでいる。
特に貴族連には自分の本心を綺麗に隠し、理想的な皇位継承者を演じているのだ。
(この娘、上手く利用出来ないだろうか。このまま宴が終わり帰してしまうのは惜しい)
内情を僅かでも暴露してしまったこともあるが、何よりこの娘自身へ興味が湧いた。
(クセ者なこの皇子が幾ら気に入ったとはいえ、芸人風情の言うことなど信じるだろうか。だが信じなくとも利用しようとは考えるかもしれない)
興味と好意は持たれているのだ。好奇心をくすぐれれば協力を得られる可能性も高い。
(どうする、軽薄な印象はあるが、2曲目も誘って執心している様子をアピールするか? だがそこから先は? まさかそのまま私の邸まで連れて行くわけにもいくまい)
(要は皇子が引き止めたいと思えばいい。その場合口実の内容は多少突飛な方が食いつくかもしれない)
(少々強引だが、侍女として召し抱えるか?余興専門とでも言えば、私の風評なら問題ないかもしれない)
(先程の皇子の反応から見ても恐らく大丈夫。乗ってくる)
(もう、じいの世話係でいいから留まってもらうか)
(こうなれば初めの踏み出しは賭だ。危険は承知するしかない)
見つめ合い、軽やかにステップを踏む中で互いの思惑が交錯する。
そして、先に行動を起こしたのは蒼だった。
「・・・・ハーディス様。私、宴の後でヒューレット様に大事なお話があるのです。ご協力願えませんか?」
はにかんだような、それでいて真剣な表情。
一方相対するハーディスは僅かに眉を上げ、不思議そうな顔になる。
「話?」
「ええ、私の一生に関わる大事なお話です」
蒼はダンスの最後、二人の顔が近づくタイミングでハーディスの耳元にそっと囁いた。柔らかな声とともに花のような不思議に甘い香がハーディスの鼻腔をくすぐる。
「私は山岳の小国、桃嵩(とうこう)国の王女です。貴国へ亡命に参りました」
「?!」
甘く薫る囁きの内容は余りに意外で、ハーディスは曲が終わった瞬間、腕に掛かる柔らかな重みを思わず引き寄せていた。
ふわりとした香が強くなる。
「・・・・・それは」
「故あってこのような身、まだ詳しくはお話出来ません」
囁く舞姫の美しい顔からは、見るものを魅了し誘惑するような妖しい艶は消え、高貴で侵しがたい清廉な気品が漂っている。
「・・・・・」
ついさっき自分で彼女を王族のようだと評したばかり。
タイミングが良すぎる。
話を冗談だと流すのは簡単だ。また偽りであると糾弾することも出来る。
だが、胸の裏側を引っ掛くようなこの感覚は何だろう。
胸騒ぎ?いや違う。
(・・・・・変化が訪れるかもしれない)
ハーディスは漠然と感じた。
五年に渡り今やすっかり泥沼化している皇位継承者紛争。この膠着状態に王女と名乗る娘の存在が布石を投じるかもしれない。
「・・・詳しく話を聞こう」
偽りの可能性も勿論あるが、現状が変わるならそれでもいいと思っている自分が確かに存在する。
「では、後程・・・・」
ダンスのフィニッシュで抱き抱えられた舞姫は、その柔らかでしなやかな身を一瞬寄せた後、皇子の腕からするりと抜け出した。
そして少し離れたところで優艶に微笑むと、優雅で完璧なお辞儀を披露する。
「楽しい一時をありがとうございました、殿下」
「あ、ああ・・・・・」
対するハーディスは立ち尽くしたまま。舞姫の身体を支えるように広げていた手のひらさえ動かない。
挨拶を終え、舞うように身を翻した舞姫は仲間たちの待つ壇上へと戻っていった。
広間に残されたのは数々の浮き名で知られる美貌の皇子。
人々の好奇な視線が集中する。
出席者たちから見れば、まるで皇子がフラレたように映ったに違いない。
それでもハーディスは立ち尽くし、去り行く舞姫の見事な肢体を見つめ続ける。
胸に不思議な高揚感を抱えながら。
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