第43章


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 時が経つのも忘れてそうしている内に、宿舎に着いたのか荒いブレーキと共にトラックは停車した。
いつものように俺の持ち主の兵士がボールを片手にやってきて戻るように声を掛けようとするが、
普段とどこか違う俺の様子を悟ったのか、傍らの檻の中を怪訝そうに覗き込んだ。兵士は直ぐに彼女の姿に気づき、
それから俺を見て、何か邪推したようにニヤリと笑った。兵士は慌ただしく荷下ろし作業に当たっている他の兵士達を
盗み見て隙を窺い、そっと空のボールを取り出して彼女を中に入れ、自分の懐へと忍ばせた。
兵士は声を潜め、『安心しろ。こいつは後でお前にくれてやる』と愉快そうに俺に言った。
きっと、命令と最低限の食事以外にはまるで興味を示そうとしなかった俺が急に他者に、それも同族の雌に対して
どうやら関心を示しているらしいことが、たまらなく滑稽で気を良くしたんだろう。
 余計な真似をと思いつつも、もしかしたら彼女と少し話をすることが出来るかもしれない、
同族、それも恐らく戦いに縁の無い生活を送ってきたであろう者が一体どんな考えをもっているのか知るいい機会だ
と新たな興味が湧き、甘んじて兵士のそのどこか邪な厚意を受け入れてみることにした。
 ボールに戻されて暫く経ってから、俺は自室――と言えば聞こえはいいが、独房のように狭苦しく不衛生なものだ。
元々は収容所だったものを後から宿舎に改築したなんて噂もあるが、本当のところは分からない――に解き放たれた。
目の前で兵士は俺を得意げに見下ろしながら、懐を探って彼女の入ったボールを取り出した。
『精々今夜はゆっくり楽しみな』言って、兵士はボールから彼女を解放し、下卑た笑みを浮かべて部屋を出て行った。
 俺は蔑んだ目でその背を見送り、溜息をついた。こっちはただ少し話をしたいだけだ、下劣な真似をする気は無い。
 彼女はまだぐったりと横たわったまま身動き一つしない。俺も暫くは黙って起きるのを静かに見守っていたが、
あまりにも死んだように動かないため段々と不安になってきて、一応息を確認して見ることにした。
 ゆっくりと耳を彼女の口元に寄せると、すーすーと安らかな寝息が俺の鼓膜を揺らした。


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