〜第5章〜


[42]2131年 某月某日……


ただ広い、クローバー畑が広がる。
のどかな山の空気が辺りにたちこめる。
世界が人間によって創造されたのだから、これほどに素晴らしいのであろう。

地上はネブラによって完全侵食され、この地底世界で人間達は偽りの平和を送っていた。

クローバー畑が広がり、遠方には白い煙が煙突から延びる。水車が周り、人間達が住んでいるのだろう散村が点在している。
更に遠方、東の方角には自然で一杯の山が広がる。
西には、広大で澄んだ海が広がる。底に沈む白い砂が見えて、稚魚も生きている。
北にはビルが並び、存在するのに少し違和感がある大都会。そこには嘗ての人間の英知が集約されている。


そして、ここ。
南の世界には
クローバー畑が広がる、平原がある。
生き物の楽園。
賑やかだ。
だがその賑やかさにも機械的な滑稽さが感じられる。


当然であろう。
人間の生産物など、真に存在しているとは到底呼ぶことなど出来ない。

荒唐無稽。
世界全体が世迷い事に踊らされているかのようだ。


この地で

星影ハレンは生まれ育った。


エミィは車椅子という足を使って、クローバー畑を歩いていた。
空気も澄んで汚れもまるで無い。彼女も同じだった。
太陽の穏やかな光が彼女を照らす。足が不自由な彼女は、それでも懸命に生きようとしていた。
自分には父も母も、姉もいる。
自分を支えてくれる人が3人もいるのだ。
だから絶望も後悔も悲しみも無い。

幸せを運ぶ4つ葉を軽く握る。

「ねえ、お姉ちゃん」
「なあに?」

エミィは自分の後ろにいるハレンに言った。

「私って……幸せになれるかな?」

ハレンは少し不思議そうな顔をしたが、すぐにその顔は柔和な物に変わる。

「なれるよ! だってエミィはすぐに4つ葉を見つけるじゃない! それはきっと、エミィがこれからも幸せになる、ということだと思うなあ」
「そうか……きっとそうだよね」

優しい言葉だった。
ハレンは本当に、エミィを愛しく思っていた。
エミィは、本当に、嬉しかった。
何もかもが平和だった。
その気持ちは嘘じゃなかった。

「……お姉ちゃん。シドが来たよ」
「えっ……!」

急にハレンが慌ただしく動く。

「シッ……シシシ……シドがっ! こんな普段着で会うわけにはいかないようっ!」

ハレンは即座に家の方向へ走ろうと後ろを見たら

「ぅやっ!」

ボスッ
という、柔らかな衝突音がした。
「……?」

そこにいたのは、丁度ハレンと同じぐらいの身長の男の子だった。

「……はわわわわ」

思いがけない展開にハレンは照れながら腕を回す。
まさか自分の背後に、自分の好きな人がいるとは思わなかったからだ。しかも不意にその人とボディタッチをしたのだから尚更である。

「あっ……ごめん……」

シド、という少年が言う。見た感じだけでもハッキリ分かるほど、その男の子は大人しそうだった。
髪も黒く、目も黒く、野球帽を深くかぶっている。
声も少し小さい。

そのシドが、ぶつかってコロンと倒れたハレンに手を伸ばす。

エミィは知っていた。

シドの方はともかく、少なくともハレンはシドに好意を抱いている。
とても初々しくて、恋をまだ知らないエミィも思わず笑顔になった。

ハレンはしどろもどろにシドの手を握る。

「どうしたの?」

シドは不思議そうにハレンの顔をじっと見つめる。

ハレンは、今シドの目に映っているのは自分だけだと思うと、いっそう顔を赤らめた。

「え、えとっ。ど、どどどうしたのかな?」
「もうすぐ5時……」
「あっそそそうだねっ」
「お姉ちゃん、ドキドキしすぎだよ」
「うう……だってぇ……」


シドはハレンよりも幼いようだ。
人口100人前後の数少ない子供の中で、ハレンは最も年上だった。

年頃になったハレンは、ある日突然、シドを見る目が変わった。
最初は戸惑った。でも後になって徐々にその理由が分かってきた。
これが、人を愛する、という感情なのだと。恋慕、という明るいものであると。

まだそれを知らないエミィには、ちょっとばかり面白い話なのだろう。

5時、というのは門限のことだ。
夜になれば、この地中世界にもネブラの危機が訪れるからである。
5時以降に外出できるのは、タイムトラベラーだけだ。

そしてハレンとエミィの父親は
唯一生き残ったタイムトラベラーだった。

他のタイムトラベラー達は、2年前にネブラの襲撃の犠牲になっている。

「じゃあエミィ。帰るよ」「お姉ちゃん、後ろから車を押して」
「わかった」
「……変に手が熱くない?」
「き、気温のせいじゃない? あはは」

シドは純粋すぎて、なぜハレンがこんなにどぎまぎしているのか気づいていなかった。

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