〜第4章〜 黒の男


[31]夕方6時02分


「清奈」

「なに?」

上着を羽織りながら、返事を返してきた。

「……最近夢を見るんだ」

夢という言葉に真っ先に反応したのはハレンのほうだった。
そうか、先月の遠足の前にハレンが夢がどうとか言っていたことを思い出す。
ハレンは清奈の反応を見つめる。

「それで?」

と、更なる僕の言葉を求めてきた、ということは清奈は、僕が夢で昔の清奈を見ていることを知らない。

「そこでさ、よく見るんだよ。昔の清奈とイクジスっていう男の人を」

言った。
ハレンもどうやら、イクジスという存在を知っているらしい。急に緊張した顔に変わっている。
絶対に触れてはならないことだっていうのは、ここにいる全員は知っている。
でも、僕は知りたかった。確信できている。あの人間が、あの存在が、清奈が孤独に生きることを決定づけたものである、と。

「イクジスって、何者なんだ?」

場に沈黙が流れる。
破るには、かなり重い沈黙。
清奈は

「さあ? 誰かしら。初めて聞いたけど」

普通に、取り乱した様子も無い。いつもの、落ち着きはらったようすで答えた。


「そんなわけ、ないはずだ」

「ないわよ。知らないものは知らないの」
「あの夜に何があったんだ」

「だから何の話?」

「とぼけるなよ!」

つい、大声を出してしまった。

「イクジスは、昔の清奈にとってかけがえのない仲間で、そして誰よりも尊敬に値するような人間だった。イクジスは、清奈の全てだったような男だ。でも、あの夜に……何があったんだよ?」

夢なのに、はっきりと覚えている。

異様な殺気、異常な気配
そして、ドア越しに聞こえてきた冷ややかな声。

『そこにいるんだろう? 早く出ておいでよ』

頭の中で録画されていたものが映し出される。
その声は……なぜだろう。あの優しいイクジスと、似ていた。いや、同じだった。

忌まわしき惨劇の中心に立つのにふさわしいとされた、元凶。

事実上ではなきにしも、あそこは清奈が【死んだ】一瞬。
第二の、清奈が現れた時。

「何も……無かった」

「……だからさ、本当のことを」

「それ以上の事は聞かないでよ……」




あれ……
凛々しく立つ清奈が、今はその力が見られない。

拳を握り、下を向き、ふるふると手を震わす。

「もう、やめて。あんなこと、忘れさせて」

今にも泣きだしそうな、声。
「一回【死んで】、もう楽になったのに……また私を苦しめないでっ……」

「清奈……」
「先輩……」

清奈にこれ以上聞くのは無理だ。

馬鹿だ……僕は。
知りたいことを知ろうとして、清奈を追い詰めてしまっているなんて、分かっていながら無視していた。

常に強く在ることを望む清奈でも、弱い部分はあるのだから。

すると、清奈は

「う……ぐっ……!」

急に、右肩を抑え、膝まづいた。

「清奈!!」

前に倒れこんできた。
それを、僕の腕で受け止める。
清奈は、何かに怯えるように、僕の腕を掴む。

「悠……はあ……はあぁ……肩が……痛っ…ぁ」

息を乱している。
ハレンが、清奈の上着を脱がし、清奈の右腕だけをシャツから脱がし、肩の部分を捲る。
とても戦士とは思えない、華奢で白い素肌。滑らかでさらさらな肌触り。清んだ小川の水に例えられるかのような、透明で無垢な体。
そのなかで、清奈がちょうど抑えていた部分に、
どうしようもない、二度と消えることの無い――

赤く腫れあがった、大きな古傷があった。



「これって……!」

清奈の肩を縦に裂いたらしいその傷は、見るだけで痛々しい。
清奈が、肩を震わせる。

「ゆ……う……」

「清奈、ごめん。嫌なことを、思いださせてしまって」

清奈にこんな古傷があったなんて。
この傷は……

「何でもない」

僕が心に思ったことを否定する清奈。

「これって……イクジスによるものだよ……な?」

「違う……ネブラから受けた傷が……たまたま開いただけ……悠には関係ないから……」

「相沢くん、テレサ先生を呼んできますから、先輩をよろしくお願いします」

「分かった」

ハレンが走ってその場を去った。




結局、何も分からず釈然としない気持ちで学校を去ることとなり、五月原駅へとゆっくり足を動かしている。

『もう、やめて。あんなこと、忘れさせて』
『一回【死んで】、もう楽になったのに……また私を苦しめないでっ……』
『私はイクジスだと思いますけれど』


……
早く、全ての謎を解いてほしい。
僕の知らない人でもいいから、どこからか名探偵が現れて、「真相はこうだ!」とビシッと言ってくれればいいのにさ……。



その後、月日は流れ――



清奈と戦う日の前日、6月18日になる。
その日の夜、6月18日午後11時から、その24時間。
全てが動きだした。

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