〜第5章〜


[29]夕方4時16分


「この車って……?」
「驚きました? 私が発明したんですよ」

は……発明!?
誰か直ちにノーベル賞を授与してさしあげようよ。

「まったくハレンったら。これは不可視空間を応用させただけ。タイムトラベラーの間じゃ別に不思議でも無い乗り物よ。不可視空間は、それ自体は目に視えないから、普通の空間に比べ拘束性が少ないことを利用して……」
「あはは、バレちゃいました?」
「まあ、それでもここまで拡大できたのは凄いわね」

うん、なんのこっちゃ。
原理はよく分からないけどこの車も不可視空間の類なんですね?

「そんなことより、さっさと始めるわよ。荷物は全部かばんに積めたから後は家具を運びだすだけ。悠、来なさい」
「分かった」
「じゃあ、私は細々とした物を……」

僕とハレンは清奈の後についていき、そのままエレベーターに乗り込んだ。





高層ビルのようなマンションの13階からながめる、陽光が五月原を優しく包みこむ風景。
夕方になってきているからか、影が徐々に伸び始めている。適度に風が吹き込んでとても涼しい。

少し右に清奈の髪が流れる。しなやかで肌触りの良いそれは、僅かな風でも空を舞う。
その髪が一本ずつ、それぞれの方向へと自由に波立つ。

清奈が立ち止まってスカートのポケットから家の鍵と思われるものを取りだし、それを開けた。
ここには清奈一人しか住んでいないのだが、そういう所で彼女の几帳面な性格が現れている。
そしてチラッと見たのだが。

「なに?」
「いや、なにも」

さりげなくその鍵には、リラックマのキーホルダーがついていた。


ドアが開き中に入って、僕は普段からしているわけでもないくせに靴を揃えた。
中に入ると、一人で住むには余りにも広すぎる部屋が僕の目の前に広がる。

床がフローリングのリビングや8畳の和室、その他の部屋もついた、3LDKだ。

スペースが余っているせいか、新築の部屋とほとんど変わりない。最低限度の家具しか無いので、思いのほか運ぶ家具は少なそうだ。

「テレビや冷蔵庫は悠の家のを使わせてもらうから、そうね……せいぜい運ぶのはクローゼットと本棚ぐらいでいいわ。本がまだ全部カバンに詰め終わってないから、ハレン、宜しく頼むわ」
「分かりました」
「悠、お前はこれよ」

清奈が指差した方を見ると、さっき言ってたクローゼットが飛込む。

思いのほか大きく、これを下に運びだすのは結構厳しいんだが、清奈さんはサラリと

「下に運びだしといて」

と言ってくれました。

「な、なあ、ちょっと清奈」

恐らく通用しないと踏んでいる抗議をしてみる。

「これを一人ってのはちょっと……」
「何言ってるのよ。中はカラなんだからそれぐらいしなさいよね」

心の底でため息をついた僕は問題のクローゼットと対峙した。
なるほど、押したり引いたりすると動くことから、清奈の言う通り一人で運べないことはなさそうだ。
だが問題はその大きさで、担ぐにしても背負うにしても誰かの助けがなければどうにもできない。

「いったいどうしろと……」

しかし、清奈はもうどこかへ行ってしまっていた。恐らくはハレンのところだろう。
絶対に手伝いに向かう優先順位がおかしい。

両手をおもいっきり横に伸ばし、クローゼットの端と端を指で引っ掛ける。
けっこうギリギリ。
そのまま僕は

「ほっ!!」

肺の変な所が圧迫して息を吐いたような声を出す。
持ち上がった!
おっとっと……。

僕は勢い余って前に倒れそうになったのを、足で踏ん張って耐えた。

ああ、やっぱり僕の家の掃除と引っ越しの手伝いってのは等価交換じゃない。これを下に運ぶだけでお釣りがくるぞ。

なんとかドアの前まできた。腕がプルプル震えている。一瞬でも油断すると背中に乗っかっている悪魔に潰されるし、なによりドアの前は細い廊下になっているので身動きも満足にとれない。

さらに無情にもドアが閉まっている。
ドアノブに手をかけようとしても、いま手を離したらマズい。

そうだ。
置けばいいじゃないか。
一旦置けばいいじゃないか。

よっ……
ゆっくりゆっくりゆっくり……。


一時的に背中の重荷から解放された。
ドアを開けて靴を履き替えたのち、再び僕の体を臨戦状態に……

よっ!!
あれ?
随分と軽い……?

理由はすぐに気づいた。

「まったく情けないわね。後ろを支えておくから、さっさと進みなさい」
「頑張って〜。相沢く〜ん」

ちょうど2人も荷物の詰め込みが終わったようだ。

「ありがとう清奈。マジで助かる」
「……別に礼はいらないから早く進んでよ」
「あ、ごめん。分かった」
清奈のフォローのお陰で足がとっても軽い。


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