〜第5章〜


[27]夕方4時00分


「この前、すごくおいしいコーヒーが飲める喫茶店を見つけたんですよ。そこに行きませんか?」
「う……それ、なんだけどさ……」

さくらちゃんは無理な用事が出来たなんて思いもしなかっただろう。
そりゃそうだ、現に僕も1時間程前まではこの瞬間をワクテカしながら待ち続けていたんだから。

「……あれ?」

さくらちゃんが僕の手首を見て疑問の声を上げる。

「あのアクセサリー。まだ付けてないんですか?」

あの銀色のアクセは、今ごろ清奈の手首に巻き付いてるんだよな。

「さくら……ちょっと、僕の話を聞いてくれないか」

僕が頭の中で繰り返した言葉も、いざさくらちゃんを目の前にすると何も言い出せない。
さくらちゃんの輝いた瞳が霞んでいく様子は、僕にとっては余りにも刺激が強い……。

「なん……で?」

今、気づいたのか
それとも最初から気づいていたのか
どちらかは分からないが、もう僕が言いたいことを察したさくらちゃん。

「わたし……悠くんと」

さくらちゃんが視線を下ろす。
ギュッと通学カバンを握りしめ、弱々しい声で言葉を溢す。

「2人で……遊びに行きたいだけなのに……」


そこには
何とも呼べない

巧く言い表せない
「壊した」といった言葉が適当なのだろうか。
決して潰してはならない物を、おもいっきり叩き崩した、そんな後ろめたい感情。

さくらちゃんと僕は、少しの間、周囲の空気の流れを噛みしめる。
周囲の雑踏が、やけに大きく聞こえる。


「ご、ごめん……ほんとに、期待……させちゃった、よな?」

鉛を口から押し込まれたような、鈍い不快感に耐えきれなくなり、かける言葉もロクに分からないのに口を開く。

その、苦し紛れの一言を

「そんなに、気にしなくてもいいですよ」

あの笑顔で返してくれたのだ。
本当に、何も落胆していないような、いつもと何の変化も無い笑顔で。
太陽が傾いてきているからか、さくらちゃんの笑顔を右から照らす太陽の光。

「気に、してないのか?」
「はい。元々私から誘ったんですから、悠くんに無理強いをするわけにはいかないですし……」

気にしていないのか、と僕は何で尋ねたんだろう。
さくらちゃんは悲しい気持ちで胸が一杯なはずなのに。
悲しさを飲み込んで、その笑顔を僕に向けている。そんなことぐらい分かっている。

なんて、強いんだろう。

きっとさくらちゃんは知っているはずだ。

僕は、ちょっとの用事ぐらいじゃ、さくらちゃんとの約束を蹴ったりしないことを。
たとえ外が、世界が終わりを告げるような地獄絵図だったとしても、さくらちゃんがそこで待っているのならば、僕は降ってくる槍をかいくぐり、噴き出す溶岩を飛び越え、悪鬼の金棒をへし折ってやるさ。

だが

そんな強い意志を、唯一曲げることができる、ある少女の存在があることを、誰よりも理解していた。
さくらちゃんは

「長峰さんの所へ……行くんですね?」

その、唯一の存在の名を口に出した。
もう、さくらちゃんは確信している。
ここでごまかすのは愚かなものだろう。

「……うん」

はっきりと、さくらちゃんに確実に聞こえるように、躊躇いを押さえ込んで返事をした。

「……やっぱりそうでしたか。仕方がありませんね、先客がいたようですし、わがまま言っちゃ駄目ですよね」
「でも、今回は僕にも悪い節があるし……」
「……優しいんですね、悠くん。私は平気ですから、早く長峰さんの所へ行ってあげてください」
「本当に……ごめん。じゃあ……行くね?」
「はい。それじゃあ……明日また学校で」

さくらちゃんは微笑んだ表情で僕の背を見送る。

「あ……悠くん!」

急にさくらちゃんが呼び掛けた。
すぐに振り向く。

「明日……悠くんの為に、昼ごはんを作ってきてもいいですか?」

昼ごはんって、弁当を!?

「分かった! 楽しみにしてるよ!」

僕はそのまま、走って学校へと戻る。
さくらちゃんは

追い掛けもせず
ただ、どこか遠くへと向かう僕を見つめていた。

「やっぱり悠くんは」

耳の奥に聞こえるのは、電車が走る効果音。
鳩が一匹だけ飛びあがって彼女の頭上を羽ばたく。

「長峰さんが……好きなのかなあ……?」

悠がいなくなった今
彼女が最初に溢した言葉は、とても小さかった。

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