side story
[36]時を渡るセレナーデ -30-
「ゲホッ! ゴホッ!」
ぜい、ひゅう、と荒い息遣いをしながら如月は立ち上がった。
甲高い警報が赤色灯を明滅させながら鳴り響いているが、朦朧とした意識ではそれすら上手く聞き取れない。
「“うみしお”の第七甲板か……」
ようやく明瞭となった頭で現在地を確認する。
足元を見ると水が浸水している。もしかしたら、沈没まで長くないかもしれない。
壁に寄り掛かりながらここに至るまでの経緯を思い起こした。
死にかけの半漁人、イビルの最後の一撃が艦後部のメインエンジンに被弾した。
その時の余波で如月は“うみしお”に叩き付けられ、何層もの装甲板を破壊してここにたどり着いた。
確か、吹き飛ばされると同時に奴の頭部を撃ち抜いたはずだ。
「ゲホッ! アストラル、艦橋に回線頼む」
『開いたぞ』
海水を呑んだせいか、喉の奥が恐ろしく痛い。
激しく咳き込みながら如月は言葉を発する。
「こちら如月。艦橋、応答願います」
『こちら艦橋。報告せよ』
「半漁人のネブラ、呼称はイビル、と交戦。イビルは倒した。が、後部主機関への攻撃を許してしまった。以上だ」
『そうか。“うみしお”は現時刻をもって放棄する。既に退艦命令は出した。お前も下りろ』
「船長、あんたは避難しないのか?」
『全乗員が逃げるまではここにいる。それが艦長というものだ』
『それにDSDはまだ発進シークエンスが進行中だもの』
艦長の台詞に合わせるように桜庭が続けた。
如月は相変わらずの無表情だったが、口をヘの字に少し考え事をする。
「艦長、確か駆動炉は中枢にニルヒレッド、確か俗称がC-cubeとかいうやつを使っている次世代機関だったな?」
『詳しい事はシャリアに聞け』
『はいはーい。C-cube使ってるわよー』
艦長と入れ替わりですぐさまシャリアが緊張感のない口調で応じる。
『全く、技術部は何やってるのかしらねえ。回路が未解明の高エネルギー生成物質……ていうかC-cubeを使うのはどうかと思うわよ? おかげで闇の勢力に対抗できる武装艦にならないじゃない。これだから欲深い馬鹿どもは』
うんうんと勝手に頷きながら持論を展開するシャリア。
後ろで艦長を除くクルーが苦笑いを浮かべているところを見ると、どうやらいつもの光景らしい。
如月は状況が危機的なだけに軽口を叩いている場合ではないだろうと内心で眉を潜める。
しかし沈没しかかっているからこそ冗談を言っているのかもしれない。
互いに励まし合うためか、開き直っているからか、理由はどうあれ“うみしお”はもうもたない。
幸い如月がいるのは第七甲板、つまり上から第七層目の艦後部に近い場所だ。
如月は奥へと続く通路に目を向ける。この先にDSDの格納庫と機関部がある。
『三番艇は遅延なく予定通りに発進する。C-cubeの処理は任せたぞ』
“うみしお”が沈むが早いか、ネルが先に脱出できるが早いか…………。
どちらにせよ沈没は免れないのだから、早急にやるべき事はただ一つ。
「了解。任された」
如月は無線通信を終了すると奥に広がる闇をキッと睨み付け走り始めた。
バシャバシャと水の跳ねる音がして、辺りは警報音と赤色灯が赤々と通路を照らしている。
さきの浸水の状態と比較してあまり良い状況ではない。
如月が海中から艦内へ貫通させられた箇所はちょうど艦の姿勢を保持するためのバラストタンクが設置されていた。
今頃は水密隔壁の封鎖で制御しきれているだろうが、応急処置にすぎない。
炉心が崩壊する前にあれだけは回収しなければ……。
「ここが機関本体の場所か」
如月の目の前には重厚な雰囲気を醸している鈍色の隔壁が鎮座していた。
その壁の手近な部分を軽く指でタタン、と叩く。
すると叩いた場所の壁が奥へ引き下がり、操作パネルが奥から現れた。
如月が素早く十八桁の暗証番号を入力すると、少し経ってから機械の駆動音が聞こえ始め、巨大な鉄扉がゆっくりと上へスライドする。
完全に開く前に内部へ入り込むと、明らかに異常な環境が如月を出迎えた。
「内部温度は千四百度か……。炉心溶融の二千二百度まで時間がないな」
普通の人間なら一瞬で蒸発する世界でも、防御魔法を展開した黒衣のコートで防いでいる如月にはほとんど影響がない。
しかしここではそれが決定的な命取りとなる。
「炉心温度が急激に上昇しているだと? 妙だな」
『C-cubeは魔力に極端に弱いと彼らは言っていたはずだ。魔法付加の武装をしている貴様が入れば当然の結果だ』
「チッ……、予想外だった」
あからさまに怒りを表情に出すと、如月は最奥部へとすぐさま走る。
そこへアストラルの更なる批判がついてくる。
『魔法障壁の威力を下げても無駄だ。C-cubeに触れれば一瞬で吹き飛ぶ』
「やってみなきゃ分からないだろ。それに、奴等に手渡すよりはマシだ」
決して諦めない姿勢を見せる如月に対してアストラルは、「勝手にしろ」とぶっきらぼうに言い放つ。
アストラル自身は、あまり如月には無理をして欲しくないと思っている。
自分の不利益を嫌うからではなく、純粋に未熟な相棒に無駄な死線を踏ませたくはないのだ。
それを口に出さないのは、恐らく性に合わない事を自覚しているからだろう。
如月はそんな思いを抱える幻獣神の本音など露知らず、ただ相棒と己が信念に従って生きている。
「炉心温度が二千度を超えたか……」
如月は苦虫を噛み潰したような顔をしてひたすら走っている。
そして、遂に目的の場所に辿り着いた。
ここまで来るのに十五分ほどかかった。
その間に艦長以下、全乗員は退艦したはずだ。
緊急避難対策マニュアルと実際の訓練データを頭の中で照らし合わせて判断すると、目の前にある炉心を睨み付けた。
何かの液体で満たされた円筒形の透明で巨大な容器の中に、手のひらサイズの立方体が浮いている。
如月はためらう事なくその容器を拳で殴りつけた。
すると円筒形の容器はガラスのように砕けて、液体が漏れると同時に一瞬で水蒸気に蒸発した。
まだ白い靄が晴れないまま如月は容器の内側へ手を伸ばし、立方体状の物体を掴む。
「これでC-cubeは掌握した。じゃあな、ネル……」
突然白煙の中から鋭い光が漏れ、機関部は一瞬でホワイトアウトした。
直後、“うみしお”の後部から海中へ無数の光が拡散し、刹那の間を置いてネブラを巻き込みながら爆発した。
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